2022年7月7日 知覧特攻平和会館
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仕事で初の鹿児島出張が入り、この機会に休暇を絡めて知覧の特攻平和会館を訪れてきました。スケジュールをかなり詰めて計画したため1時間ほどの見学でしたが全てを見るには余りにも時間不足でした。それでも今の平和な日本からは想像もつかない壮絶な戦いの記録が残されており、世界が不安定になっている今こそ知っておきべき歴史だと思いました。

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B787 ANA
7月6日の早朝、鹿児島空港へ向かうべく羽田空港へ着きました。上司とは鹿児島空港で待ち合わせをしており、時間も少し余裕があったもで早めの便に搭乗することにしました。
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B787 ANA
全ての準備を終え乗客をのせてANAのB787が誘導路へと動き出しました。新型コロナウィルスの感染状況も落ち着きを見せており、航空便の稼働状況も戻りつつあるように思います。
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B767-346(ER) JAL
小松空港へ向けてJAL便が離陸しました。0730時とまだ早い時刻でしたが人々の生活は朝が早いですね。
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B787-8 ANA
福岡空港へと向かうANAのB787が加速していきます。今日は見送るだけでなく自分も旅客機に搭乗できるので楽しみです。
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B787-8 ANA
東京スカイツリーは各機の離陸位置の違いを比べる目安になります。福岡便は離陸タイミングが遅く、低いことから搭乗率は高めだったことが推測できます。
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B767-346(ER) JAL
長崎空港へと向かうJALのB767が離陸しました。気候変動の影響は激しく、6月から猛暑と不快な日が続いていています。この日も厚めの雲が覆っている厳しい暑さでした。
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A320-271N ANA
チェックインを終えて搭乗エリアへ入りました。今回のセキュリティチェックでは一苦労しました。時間に余裕があったからいいものの、的外れなリクエストでかなり手間を取りました。ほとんどバッグの中身を出すことになり、わざわざX線を通して空のバッグを見る必要あります?直接見たらどうですか?と言いたくなりました。その検査員は直後に先輩から指導されていました。
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B737-8 ANA
コロナ禍も落ち着きを見せ、かなり活気が戻ってきています。とはいえ運行予定のない機材が羽を休めていました。この並びは送迎デッキからは見られない搭乗者だけが見ることのできる風景です。
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んp |
A320-271N ANA
鹿児島へ向かう便に搭乗しました。今回は右の窓側の席を指定しました。隣は誰も来なかったので快適に過ごすことができました。
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B737 ANA
搭乗機と同時にプッシュバックされていたB737。タワーと重なるタイミングを狙ってスマホのシャッターを切りました。
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B737 ANA
今回のフライトは鹿児島空港の天候によっては福岡空港に降りるという条件付きで出発しました。タキシング中にB737とすれ違い、急いで写真に押さえました。
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A321-272N ANA
今回のフライトで右の窓側に座った理由がこちら。富士山を一目見ようと思ったからです。どちらに座れば見られるかは行先の空港への航路によって決まっているそうです。
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A321-272N ANA
ここで右バンク!冬だったらさぞ美しい風景が見られることでしょう。富士山周辺の気流を避けるための航路の関係か、それとも空の旅ならではのサービスなのかはよくわかりません。
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A350 JAL
機窓から見えたのはJALのA350とのすれ違いでした。猛スピードで飛んでいる航空機が視界に入る時間はほんの数秒しかないのでチャンスは一瞬です。フライト中の機内ではWi-Fiが利用できるのでフライトレーダーで事前に予測することは可能です。
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A321-272N ANA
鹿児島県の上空に入り、空港へのアプローチが始まりました。主翼からは長いベイパーが発生し、湿度の高さがすぐにわかりました。
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A321-272N ANA
福岡空港へダイバードすることなく、無事に鹿児島空港へタッチダウンすることができました。確かに分厚い雲が覆っており、難しい天候であった様子は伝わってきました。
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A321-272N ANA
無事に鹿児島まで運んでくれてありがとう!。商談頑張ってきます。
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E190 J-AIR
集合時間まで余裕をもって早めに到着しているので送迎デッキでしばし撮影を楽しみました。
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鹿児島空港 送迎デッキ
鹿児島空港は九州において福岡空港について2番目に利用者が多い空港だそうです。福岡空港ほどの過密さはないものの、空港内の店舗やレストランは充実していました。
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B767-346(ER) JAL
上司が搭乗している機体が到着しました。一足先に到着して上司を出迎えるできた部下が私です(笑)。
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B767-346(ER) JAL
待ち時間の間に空港内のレストランで昼食をとりました。迷いましたがまずは黒豚叉焼がのった鹿児島ラーメンを堪能しました。店員さんに相談したところ豚骨醤油が鹿児島ラーメンとしてはオーソドックスとの事でした。
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B767-346(ER) JAL
ここで雷警報が発令されたため送迎デッキは入場規制がかかりました。ここからはレンタカーを借りて鹿児島市内の得意先へと向かいます。
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ソラリア西鉄ホテル
客先での商談を終え、鹿児島市内のホテルにチェックインしました。夕方からのWeb会議に参加して当日の業務は終了しましたが、場所を選ばず仕事ができるというすごい時代になりました。宿泊したホテルのご厚意で桜島が見える側のダブルルームへアップグレードしてもらい快適に過ごすことができました。翌日は休暇をとって知覧と鹿屋を訪問する計画を立てています。ちなみに初の桜島は頂上に雲がかかっていたものの、よく見えました。この2週間後に噴火が発生し、警戒レベル5が発令されました。
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知覧特攻平和会館
7月7日。ホテルをチェックアウトした後、レンタカーを鹿児島空港へ返却する前にちょっと寄り道をして知覧特攻平和会館の見学に来ました。入場料は大人500円です。開館時刻までは公園を散策して過ごすことにしました。
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T-3
平日の朝ということもあって人はほとんどいませんでした。鹿児島市内からは車で約1時間程かかり、途中に山を越えるのでけっこう険しい峠道を運転する必要がありました。知覧は美しい武家屋敷の古い町並みもある観光地でした。
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一式戦闘機「隼」III型甲
公園内に展示されている隼戦闘機のレプリカです。映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(平成19年公開)のために忠実に復元されたものだそうです。模型ながら実寸大なので存在感があります。
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一式戦闘機「隼」III型甲
私の祖父は戦争で亡くなりましたが、隼戦闘機の製造にも携わっていたと聞いたので、レプリカといえども一度はこの目で見ておきたいと思っていました。
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一式戦闘機「隼」III型甲
ぐるっと一周して撮影を続けました。できれば周囲の樹がない方が撮影しやすくてありがたいかな…と思いました。平日の朝から撮影しているのは自分だけかと思いきや、もう一人カメラをもって撮影している男性がいたのはさすが知覧だと思いました。
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一式戦闘機「隼」III型甲
隼のシルエットを格好よく撮ろうと思ったら多分ここがベストアングルだと思います。やや色褪せた塗装もよく合っていると思います。
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一式戦闘機「隼」III型甲
太平洋戦争の戦史では定刻海軍の零戦が有名ですが、陸軍の隼戦闘機も負けず劣らずの傑作機と言われています。戦争当時は本土から離れた洋上で戦う零戦は見えにくいため、隼の方が馴染み深かったそうです。
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T-3
航空自衛隊の練習機として活躍したT-3初等練習機が展示されています。赤白の塗装が一般的だと思っていましたが銀色の機体は初めて見ました。
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T-3
公園中央に建てられた特攻勇士の像とT-3。伊藤 五百亀(いほき)氏により昭和49年に製作されたそうです。
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海軍零式艦上戦闘機
9時になり特攻平和会館へ入館しました。会館の展示物は基本的に撮影禁止となっていましたが、これは遺族の方々の心情に配慮しての事だそうです。ロビー以外で唯一許可されているのが零戦展示室で、海から引き揚げられた零戦の実機が残骸のまま展示されています。
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海軍零式艦上戦闘機
(知覧特攻平和会館の公式サイトの案内を引用しています。)
この零戦は、昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものです。
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零戦模型
実機の足元には零戦の模型が置かれていました。在りし日の雄姿と対比してしまいました。
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海軍零式艦上戦闘機
(知覧特攻平和会館の公式サイトの案内を引用しています。)
機体は35年間海中にあり、無残な姿ですが、往時をしのぶ姿をとどめています。機体は旧海軍の零式艦上戦闘機52丙型で、20ミリ機銃2門、13ミリ機銃3挺を装備しています。
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海軍零式艦上戦闘機
本機は戦争の悲惨さを伝える貴重な遺産ではありますが、残骸のまま展示しているのは珍しいと感じました。またこの部屋だけ撮影可能というのも不思議に思いました。
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海軍零式艦上戦闘機
正面からの撮影です。エンジン部分、およびプロペラの羽は3枚とも原形と留めていました。
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海軍零式艦上戦闘機
展示室の中は機体を一周して見学することができました。自然採光により明るい条件で見ることができます。
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海軍零式艦上戦闘機
装備品や部品、携帯品なども展示されています。
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海軍零式艦上戦闘機
13ミリ機銃とプロペラの羽が展示されています。
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海軍零式艦上戦闘機
引き揚げられたのは機体の前部のみで、胴体後部は発見できなかったのでしょうか。どのような戦闘の果てに海中に沈んだのでしょうか。
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海軍零式艦上戦闘機
館内の展示機は当たり前ながら、直接触れてはいけません。
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海軍零式艦上戦闘機
機体の撮影も2周目です。同じような写真になりますが、ついつい写真の残そうと何枚も撮ってしまいます。
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海軍零式艦上戦闘機
零戦とは直接関係のない部品も展示されています。
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海軍零式艦上戦闘機
コックピット周辺の断面がカットモデルのようになっていて、構造を説明するのに適したものとなっていました。
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海軍零式艦上戦闘機
多くのパーツで構成される戦闘機は製造するのも大変だったことでしょう。コンピューターもなかった時代ですが当時の工業力、生産能力の高さにも驚かされます。
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海軍零式艦上戦闘機
実際にこのコックピットに搭乗していたパイロットの姿を想像し、言葉を失ってしまいました。生きている時代が違えば自分が搭乗していた可能性もあるのです。
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海軍零式艦上戦闘機
零戦は機動性を高めるため軽量化を追及した結果、堅牢性が犠牲になったという話は有名です。機体フレームなどの構造が見られることは大変興味深いです。
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海軍零式艦上戦闘機
補助翼は失われていましたが機構の部分は残されていました。
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海軍零式艦上戦闘機
両主翼は部屋いっぱいのスペースをとっているので、移動する際は頭をぶつけないように注意しながら主翼下をくぐる必要があります。
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海軍零式艦上戦闘機
美しいレプリカや復元機ではありませんが、実機だからこそ悲惨な戦争の現実を語る展示であると感じました。
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知覧鎮魂の賦
平和会館内には特攻隊員が残した遺書など直視するのも辛くなる遺品が多く展示されています。しかし自分がもっとも目を奪われたのがロビーに展示されていたこの大きな絵画でした。
知覧特攻平和会館の公式サイトの案内では、宮崎市の仲矢勝好氏が描いた画で、紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したものとあります。
特攻という作戦を肯定するわけにはいきませんが、若くして散っていった特攻隊員に対して、せめてこの絵のように魂だけは救われて欲しいと願わずにいられませんでした。
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平和の世界へ
(知覧特攻平和会館の公式サイトの案内を引用しています。)
満開の桜並木の奥に知覧特攻平和会館や開聞岳、太陽が配置さらその上に特攻機が飛ぶ様子が描かれた影絵。作者が知覧を訪れ構想を練り、特攻戦死した友人を思い制作し2016年7月に完成した作品。
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海軍零式艦上戦闘機
ロビーからみた零戦展示室で、ここだけは撮影が許可されています。しかし個人的な理由ながら館内に展示されている隼の実物大模型を撮らせてほしかったです。
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三角兵舎
特攻に向かう隊員が前夜を過ごしたという三角兵舎が再現されています。カモフラージュのため松林の中に建てられたそうです。
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三角兵舎
兵舎の説明書きですが、これを読んで想像するだけで言葉を失ってしまいました。ここで寝るということは死を覚悟しつつ、前向きに生きなければいけないということです。
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三角兵舎
舎内に展示された当時の写真が本当に切ないです。私たちは見ず知らずのこの人たちの犠牲のおかげで現在の平和を享受しています。
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三角兵舎
ここに来ると、日本人は現在の平和で幸せな生活に改めて感謝しなくてはならないと理解することができます。都会で暮らしていると感じることのできない戦争という過去の現実に向き合う必要があると思います。
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ホタル
燃えつきず 立ち寄る家の 今 ありやなしや ホタルよ ここでやすんで下さい 降旗 康男
映画「ホタル」が平成13年夏に上映された際に設置された石碑だそうです。除幕式には主演の高倉健さん、監督の降旗康雄さんも出席したとのこと。
最後に公式サイトより当館概要について転記しておきます。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。
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レンタカー
今回の鹿児島出張業でお世話になったレンタカーです。その後鹿児島空港店へ返却しお別れとなりました。午後からはプライベートタイムなので別会社のレンタカーに借り換えて鹿屋基地を目指します!
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スケジュール(パンフレット)
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